春山合宿 剣岳・北方稜線隊報告
山行名 春山合宿 剣岳・北方稜線隊報告
山域名 北アルプス剣岳(赤谷尾根〜北方稜線〜本峰〜早月尾根)
山行日 2002年3月19日〜2002年3月31日
メンバー L,矢内英之(6)、香川浩士(4)

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行動記録

3月19日(火)【移動日】
西鹿児島駅―宮崎港―(船中泊)
 いよいよ出発の日がきた。例のごとく、西駅でみんなの見送りを受けて出発。毎回思うが、「見送り」ってほんとうにうれしいなあ。矢内さんは学科の追コンのため、明日むこうでおちあうことになっている。気持ちは意外に落ち着いていた・・・。

3月20日(水) 【移動日】
(船中泊)―大阪―富山―上市
 大阪でシュリンゲ等購入。矢内さんは追いコンの影響で富山で会うことになる。富山で無事合流を果たし、ぼてやんでお好み焼きと焼きそばの半々のやつの特盛を食う。そして、地鉄で上市へ向かう。駅を出てすぐのファミマーの横で寝る。夜、矢内さんが荷物を広げてごそごそしていたが、このとき、彼が焦りのどん底にいただろうことを、香川は知る由もなかった・・・。(あとになって分かる。)

3月21日(木)【晴れのち雨】
(3:30)起床−(4:00)上市駅発−(4:25)伊折集落着−(4:55)伊折集落発−(7:30)馬場島着−(8:30)馬場島発−(9:50)赤谷尾根取り付き−(11:10)1150mC1着−(17:30)就寝
 いよいよ始まった。「積雪期剣岳北方稜線縦走」。馬場島までは完全に除雪されており、時間で着く。(タクシーは伊折まで。馬場島で登山届を提出していると、北方稜線上にいる信州大パーティーからの救助要請が無線から聞こえてきた。瞬間、2人とも緊張する。どうやら、1年生が滑落して姿が見えないらしい。信州大と僕らは交流があり、矢内さんはその1年生を知っているだけに他人事とは思えず、出発準備をして警備隊に救助の協力を申し出に行くと、1年生は自力で登り返してきてどうやら無事だ、とのことだった。よかったよかった。それにしても、やはり我々がこれから登ろうとする山域は、今までのとは違う・・・。
 山タンをもらって、いざ出発。赤谷尾根の取り付きは、橋を渡って白萩川沿いに3〜400メートル行った所。出だしから急だが、トレースがあるのでとても楽チン。取り付きからトレースがあるなんて何年ぶりだろう。
 1150mにC1設営。今日はとにかく風が強かった。とりあえず、出だしは順調だっ!!(ここまで、文責;香川)

3月22日 天気:曇りのち雪 【赤谷尾根1150m付近→1600m付近】
(4:10)起床−(6:00)発−(9:30)1563m−(10:20)1600m付近  
  昨日の雨でテントが濡れ濡れ、テントもズッシリ重くなる。トレースをワッパを付け、ただたどるのみで問題個所はない。1563mを越えると広い台地、何張りもいけそうだ。m付近の小尾根の分岐するところで雪洞を掘る。緩傾斜面に掘ったので時間がかかった。(矢内)

3月23日(土) 【吹雪】
(4:05)起床−(6:00)出発−(8:00)1863mPC3着−(18:00)就寝
 今日は朝から雪。トレースは消えた。寒の戻りで気温も低い。視界は50メートル程度か。出発してすぐに、ナイフリッジが結構続く。白萩川側に雪庇がでたやつなので、ブナクラ側の斜面を行く。クラスト気味なので、ワカンからアイゼンに替える。
 行動するにつれて吹雪になってきて、視界は20メートル程度になってくる。ある雪のピークで、向こう川が雪の斜面と灰色の空間で下り口が見えず、5分ぐらいうろうろしていて、慎重に向こう側に足を踏み出してみたら、急斜面と思っていたところがほぼ平行な丸いリッジで、「吹雪時の雪のみの世界の奥行きの視界のなさ」というものに驚いた。
 今日も雪洞。3時間かかって、白萩川側に掘る。 (香川)

3月24日 天気:ガス 【沈】
 一面モヤーッとした世界。しかし天気は回復傾向にある。新雪が30m〜40m程つもり、警備隊の立てたポールが完全に埋没。ただ寝るのみ。(矢内)

3月25日(月)【晴れ】
(4:00)起床−(6:00)出発−(10:30)赤谷山着−(14:00)赤ハゲ−(16:30)白ハゲ手前のコルC5着−(23:00)就寝
 出だしからひざ前後のラッセル。新雪が40センチほど積もった。雪煙をついて赤谷山最後の急登へ向かう。かなり急だが、リッジっぽいところを選んでノーザイルでいく。新雪が意外と多く、斜面の状態は良いとはいえないが、午前中ということもあり雪崩れる気配はない。ワンポイント、80度近くありそうなところが5メートルほどある。足を滑らせるとおしまいである。アイゼンで、ふくらはぎをパンプさせながら登ると、赤谷山頂上。すごく天気よく、あったかい。剣が良く見える。 大休止をして、いよいよ北方稜線へ。広い斜面をシリセードを交えながらコルへ、そして白萩山へ。最初ワカン。ここら辺は雪がべったりで、ヤブのある夏と比べると楽かもしれん。やがて赤ハゲへの登り。再びアイゼン、めまぐるしく変わる。赤ハゲのピークへの登りで、クラスト気味の部分的に90度の雪壁が出てきたが、矢内さんトップでノーザイルで行く。(マッマジかい!?)けり込んだスタンスの片一方でも崩れたら、数百メートル滑落でホンマ怖かった。(あそこはザイルを出すべきだった、と2人であとから語った。)
 白ハゲへのP1〜P3へ向かう手前からザイルを連続的に出す。6ピッチ、つるべ。P1は左から、P2P3は右からまく。1手前にいくところのピッチで、矢内さん、雪の空洞状巨大なゴジラ落しのような感じで、シュルントのようになっているところ)を踏み抜き、2メートルほど落ちる。香川、スタンディングアックスで流しながら完璧にとめる。夏、雪訓で愚直なほどに繰り返してきた練習の成果だ。P3を右からまくところはダブルアックスで抜ける。なかなかきわどいけど、いい感じにクラストしているので助かる。やがて、予定どうり白ハゲ直下のコルにC5設営。今日はテント。しかし、ここはテント適地とはいえない。風が強いとテントはすぐつぶされてしまうだろう。かといって、ここらの稜線上は細く、強風で雪もかなり飛ばされているので、雪洞も掘れない。北方稜線上の泊まるところは、大窓や小窓などの広いところに雪洞を掘るのがベストだろう。 富山の夜景がとても美しかった・・・。(香川)

3月26日 天気:晴れ 【赤ハゲ白ハゲのコル〜大窓】
(4:30)起床−(6:30)発−(7:00)白ハゲ−(11:00)大窓]
 テントはやはり寒い。絶好のテン場ではない。天気は良好。いきなり雪壁ここは、S・アックスビレイでいく。雪はしまっており問題はない。白ハゲの頂点に2Pで出た。しかし、2P目はノーザイルでいい。3P目は雪の大傾斜を下る。何をとち狂ったか白ハゲ直下のルンゼに向かってさらにザイルを伸ばす。ルンゼまで初めてのPから計5Pで到達。このルンゼが大窓への下降点と思いきや違ったのでリッジ通しに行く。結構タイムロスした。地図を見れば一発で判っとったのに。基本的なミスである。リッジを行くと、ハイマツに捨て縄があるのでここから懸垂。向かって左側寄りに行くと支点となるハイマツがないではないか、掘っても掘ってもない。登り返す。ハァー明らかに右側の方がええやんか。3回目の懸垂で大窓のルンゼの右側の小リッジをスタコラ下り、適当に下ったところでもう一回懸垂し、ルンゼに降り立つ。雪のしまったルンゼを下るとそこは大窓。大窓へ直接下りてくるリッジ下に雪洞を掘ったという記録があったが、雪庇ごともっていかれそうで、かつ亀裂らしきものが見えたので、大岩より30〜40m程の雪面に向かって雪洞を掘る。木の枝がわさわさ出てきたがポキポキ折って強引に今日のネグラとする。ここはとてもいい場所だと思う。今日は自分のヘッポコぶりを見せつけられたぜ。(矢内)

3月27日 (水) 雪(ホワイトアウト) 【沈殿】
(8:00)起床−(19:00)就寝
 今日は南岸低気圧の通過のため、沈殿である。雪洞の穴から見る外は 真っ白である。2人きりの沈殿生活。K−1中量級の魔裟斗と小比類巻はどっちがすごいか、およびどっちが好きかという話。および、「ガチンコ」の大和龍門の真似、などをしてすごす・・・。 (香川)

3月28日 天気:晴れ 【大窓〜池ノ平山〜小窓】
(4:00)起床−(6:00)発−(7:30)登り切った所−(8:30)小岩峰−(10:30)池ノ平山直下のルンゼ−(12:00)池ノ平山−(16:00)小窓
 今日もいい天気、運がいい。3月後半ともなると登りはアイゼンの利く急登を登るのみ、たまにカリカリに凍ったウインドクラストとサンクラストとのミックスがある。小岩峰まではアンザイレンせず小岩峰の巻きで1P出す。矢内トップを行くがふと見上げるといまにも落ちんばかりの雪塊があるではないか。恐怖に駆られスタコラサッサと戻って直登か話し合ったが香川が行くというので選手交代。雪塊に押しつぶされたらひとたまりもあるまい。ここを切り抜け大窓の頭を過ぎ、少々下ると池ノ平直下のルンゼ。1P目は岳樺に向かって特攻。太い岳樺でビレイ。2P目5m程の雪壁を上がってスタコラ行くと池ノ平山頂上ピークでしばし絶景を楽しむ。八ッ峰北面やチンネ後立にしばし見とれる。剣岳も大部近くなってきた。小窓へはリッジを忠実に辿り、途中2回の懸垂を交え、小窓への懸垂地面に来る。リッジから1Pスタカットで下り、岳樺帯から懸垂を始める。戸国回の懸垂支点の岳樺は細く、グラグラしていたので、荷重をかけないようにクライムダウンでほぼ下る。計6回の懸垂で小窓に降り立つ。50m×2だったらもっと楽なのに全然アカンワ。小窓でも雪洞を掘る。ヘッデンを付けながら掘っているといつのまにか満月が出ておりとても幻想的であった。天気は下り坂。(矢内)

3月29日(金) 【曇りのち雪】
(4:10)起床−(6:00)出発−(7:45)小窓の頭横のコル−(11:00)三ノ窓
 今日は昼前から天気が崩れることが分かっていた。その前に、小窓の頭へのヤバイ登りを終え三ノ窓に入る算段である。
 まず、小窓からの登り。ここは、@気温が10度以上など異常に高いときA快晴の日の午後。B大量降雪時、およびその翌日。これらをはずせば、一見雪崩れそうで怖いが多分雪崩れない。俺らは前日一日中晴れて夜も晴れて冷え込み、その翌日早朝に動いたので雪は安定し、大丈夫であった。
 ルートとしては、できるだけリッジっぽい所を進んだが、登るにつれて、ほとんど広い雪面を登っているようではあった。下部は特に急でふくらはぎパンプ。部分的に特に急なところではかなり焦った。とにかく、個々人の力量を信じてザイルを出していないのでこの大雪面でザイル出してたら時間が足りんし、いい支点も全くない。)、ひとたび足を滑らせれば「ヒ―」状態なのである。部分的にクラストやラッセルが出てきて、頭直下のコルへはずいぶん長いように感じた。 ここから小窓の王基部へは忠実に尾根を行った。ここもup,down激しく本気を出した。一ヶ所ナイフリッジに馬乗りになる。時折突風が吹き、歩を止めざるを得なかった。小窓の王南壁下はスタカット2ピッチでいく。支点は、残置ハーケンや、クラックにハーケンを打ったりしたが、思ったよりいい支点は少なかった。春だからだろうか。2ピッチ目に、できるだけ岩に沿って下っていたが、たってきて雪面が崩れそうになってきたので、いったん岩から少しはなれて下り、支点を求めてまた岸壁基部に登り返すルートをとったが、雪が非常に深く、大変苦労させられた。なかなか難しいだろうが、できるだけ岩壁部と、雪面部の接点のところを進むようにしたほうがいいと思われる。
 やがて、三ノ窓へ。「半年ぶりかあー・・・。」夏に何回も来ているので、「帰って来たぁー。」という感じである。三ノ窓側の、小窓ノ王の斜面を少し登ったとこに雪洞を掘る。富山の街がいやにはっきりと見えた。(香川)

3月30日 天気:ガスのち晴れ 【沈】
 朝方までは積雪があり、五時ごろには降雪もなくなるが、あたり一面ガス。早々に沈殿を決定。7時半頃よりガスも吹き飛び晴天になる。こんな日に沈殿とはなんて贅沢なんだ。しかも剣で。こんな日もシュラフにくるまって一日中寝るだけで、おかげで夜眠れなかった。(矢内)

3月31日(日) 【晴れのちあられ】
(2:30)起床−(4:15)出発−(5:30)池ノ谷乗越−(6:30)長次郎のコル−(7:20)剣岳山頂着−(7:45)剣岳山頂発−(12:30)早月小屋−(16:30)馬場島
 今日はいよいよ本峰アタック+早月の下山。午後から天気が崩れるので早だちで勝負。ヘッデンをつけて池ノ谷がリーを登る。(矢内さんはこのときすごい照明器具を使っていたが、本人の名誉のためあえて何も書かない・・・。)ガリーは雪の状態がめまぐるしく変わり、結構神経を使う。スリップは許されない。やがて主稜線。池ノ谷乗越からの登りと長次郎のコルからの登りが胸をつく急登。雪の状態によってはザイルが必要。
 やがて念願のピーク!ついにやった。しかし、心底喜べない。早月の下降が待っている。祠の上に載って写真を撮ったりいろいろやることをやって早月尾根へ。分岐点までは約180歩。下降点を以前行ったことのある矢内さんが探るが、雪が多く様相が変わっていて時間を食う。
 まず分岐から尾根をまっすぐ下ると、小旗のある懸垂点に着く。鎖を支点に10メートル下降。そこ(小岩峰の基部)から3枚ある残置ハーケンを支点に(4年前に中野さんが打ったというハーケンが1番頼もしかった。)右側のクラストしたルンゼを25メートルいっぱい懸垂。懸垂セット中も、風に巻き上げられた氷の粒が飛んできて顔面にあたり、冷静を保つのが難しい。一連のザイル操作を素早くやる。その後、リッジ上を歩いて獅子頭基部まで。そのナイフリッジは東大谷、池ノ谷側、両方とも数百メートルばっさりときれ落ちていてすごかった。獅子頭基部で次の懸垂点までピッチスタカット。獅子頭からの懸垂は、アングル2枚(頼もしい!)での短いもの(10メートルくらいかなあ。)。その後はどんどん進む。このあたり、小さな突起状の峰が連続しており、視界の悪いときは東大谷側に迷い込みやすいと思われる。2600メートルより手前で、2ピッチスタカットで急雪壁を下る。2600メートル直前の突起状岩峰は巻きたいところだが、雪崩を警戒して直登。いい判断だったと思う。ここらあたりでアイゼンからワカンに替えた。2600メートル以降も、所々急な下りが出てきてその度にバックステップで慎重に下る。早月小屋で勝利の一服。安全地帯に来れた喜び・・・。振り返り見る本峰はすでにガスの中である。早月尾根は、技術だけを見ればそこまで難しくはないが、強風と迷い込みやすい地形が怖いと思った。 あとはシリセードで大いに遊びながら下ったら(1度、神をも恐れぬ直滑降の大シリセードをやったが、あれはやりすぎか!?)、今日中に馬場島に下れた。
 剣に眠る岳人達の慰霊碑に感謝の合掌をして警備隊の詰め所に下山報告をしに行くと、アップルジュースとお茶をたくさんいただいた。そして、山岳警備隊の上田さんと1時間くらい話をして、伊折のゲートまでてくてく歩いていった。最後に剣は、あられをたくさんくれました。
 Thanks Mt.tsurugiSpecial thanks Mr.Yanai(香川)


反省

農学部 獣医学科 家畜微生物学教室6年  矢内英之
 風雪時に用いるゴーグルと軽〜いヘッドランプであるティカをもののみごとに忘れた。ゴーグルはサングラスで、ヘッドランプは懐中電灯(単2を12本)2個で代用した。よって、軽量化の意味がばかげたものとなった。マットも忘れたが、以前ゴミや他の装備の上に寝れば問題ないと分かっていたので、よしとしましょう。あと、新品でキンクしやすいザイルを用いたり、ザイルを出すべきナイフリッジをノーザイルで特攻してしまったり、岩峰の巻きをそのまま行かせたり、天気図の読みが甘かったり、アイゼンワッパの確認をしてなかったりと非常に反省が多い。詳細に反省はあるが、先生の目を盗んで書いているのでここまでとする。(某大学研究室より)

教育学部 教育学科 4年 香川浩士
 ・対剣岳用の訓練、トレーニングといったものが、もう少しやれたはずだ。
 ・赤ハゲの急雪壁でザイルを出さなかったこと。あの時、矢内さんがノーザイルで行こうとして少し先行していたのだが、自分は、「出したほうがいい」と心の中で思った。が、矢内さんが躊躇せず雪壁に向かっていたこと、また、心のどこかに「こんなとこで出すの?」といわれるのでは、という思いが一瞬あったこと、などの理由から発言しなかった。(これ以外のところでは、ザイル使用の要、不要について、2人ともぴったりの考えであったので、そちらの評価も忘れずにしておきたいが・・・。)「不安を感じたらすぐに伝える」なかなか難しい命題ではある。雪洞は3時間くらいかかっていたが、2時間くらいでできるようにしたい。すこし広すぎたか。

 《登攀》                          
 ・ザイルは8mm×50mを2本持っていくのがベストだろう。今回、大窓や小窓での下降で、25m懸垂ではスケールのでかさにおっつかない、ということがわかった。 実際、小窓では、直径3cmくらいのもやし潅木で懸垂したし・・・。1回の懸垂で50mあれば、しっかりした懸垂支点が得られるし、時間の節約にもなる。
 ・シュリンゲは、1本。内訳は7mmのロープシュリンゲが長(1.5m)×4、テープシュリンゲの短(75cm)×1(これは、ワカンが壊れたときに対応できるようにするため。だが今後は、信州大学から、荒縄で結ぶやり方を教わったほうがいいだろう)。このほか、懸垂下降時のセルフビレー用に、市販のテープの短シュリンゲ(つるつるした生地のやつ)×1、ギアを肩から掛ける用に、テープの短シュリ×1、であった。長シュリンゲは、人3本でもよかったと思う。
 ・すてなわは、6mmのロープを本もっていったが、25m懸垂で、多く必要で2本ぐらい足りなかった。(ザイルを2本持っていけば、捨て縄の数は減らせるということになる。)
 ・ワカンは、アイゼン+ワカンができるものがいい。今回、2人ともそうでなかった。この山域は、雪の状態がめまぐるしく変わるので、結構大事である。
 ・確保法割がたスタンディングアックスビレーで、しっかりふんばれる安定した場所では、時間節約のため、セルフビレーを取らなかった。実際香川は、矢内さんがシュルント風に落ちたときセルフをとっていなかったが、ザイルを流しつつ完璧に止めることができた。これは、積雪期の場合、雪面によって、滑落時の衝撃が吸収されるということが言える。これにザイルの伸びなどが加わり、さらに制動確保ができれば、かなりたっている所や、不安定な所などを除いて、セルフはいらないといえる。
  あと、夏の雪訓で何回も何回も制動確保を練習で体に叩き込んできたことも大きい。「鹿児島は雪がないから冬山にはねえ・・・。」というようなことをよく聞いたけど、努力すれば、そんな言葉も打破できるのである!!
 ・エイト環での確保では 、懸垂のチョイがけを最もよく使った。本には、エイト環の小さいほうの穴にかけるやり方が良いと書いてあったが、それでも制動が強い気がした。もっとも、これは北方稜線に限ってのことなので、あくまで現場の状況によって変わってくる。その場所に最も適した確保法を採用する判断が大事になってくる。そしてそうするには、山行を重ねて経験を豊富にするしかない。

《食料》
 ・全体的に、@カロリー摂取、とA軽量化、の二大命題が、絶妙なところでつりあいが取れていたと思う。沈殿日の食料は、最初日2食案があったが、沈殿日の時間の過ぎるのがどれだけ遅いか、ということをよく知っていたので、1日3食、そのかわり、1回分を結構少なくした。これもよかった。
 ・嗜好品は充実させた。特にするめは、嗜好の一品になった。これからもぜひ持っていきたい一品である。あと、ごまもうまい。食いだしたら止まらなくなった。切干大根もよかった。しいていえば、海藻サラダは、冬にはいらんかなあ。冷たいし、たれも必要だ・・・。
 ・レーションは、まず、今までピーナッツだったのを、いろいろな種類の入ったナッツ類に変えた。これもあたり。値段もイメージほど高くない。煮干もちっちゃくてにがくないやつにした。このへん、細かいが重要だっ!!
 梅干もよかったが、行動日用に入れるべきだった。動いて汗をかいたときのほうがすっぱいものを食いたくなった。
 カロリーメイトは、ただカロリーだけでなくさまざまな栄養素を含んでいるので、やはり外したくない一品である。   
 黒砂糖は最高。行動日に食うと、一気にパワーが出てくる気がする。ミネラルも含んでいるのでお勧めです・・・。

《装備》
 ・ガス缶は、1人1日あたり0・16プラス予備、で考えた。6本だったが妥当だった。これは、2人での山行でのことなので、たとえば6人で行くときなどは、1人あたり0・15や0・14にする、といった変化が必要であろう。(今度データ取りましょう。)  
 あと、ガスはやはり、弱火で使うと長持ちします。こまめに節約して使うと、だいぶ違うこともわかりました。
 ・バーナーヘッドは、計画書には1個、と書いたけど、実は2個持っていってます。これだけでなく、オーバーミトンなども2組持っていきました。これらは、『なくなったり故障したりしたら致命的なものは、必ずスペアを持っていく』という考えによるものです。
 ・バイルは、あって便利、という感じだったと思う。僕は20年以上もののアイスハンマーでいったが、まあ対応できた。急雪壁は、ダブルアックスで行く場面はほとんどなく、もっぱらダブルシャフトで行った。
 ・ヘッドランプは、もはや発光ダイオードのやつが最高、というのは疑いようのない事実になってきたようだ。俺もリチウムだが、買い換えようかなあ・・・。  
 そんな時代の潮流の中、矢内さんはすんごいものを持ってきていた。が、本人の名誉のため、あえてここには書きません・・・。
 ・カラビナは、安カンを除いて2人で10枚だったがぎりぎりであった。岩主体のルートにいくならもっと増やす必要がある。

《その他》
 ・剣は雪洞に限る。悪天につかまると、テントなんてすぐ潰されるだろう。雪洞なら深夜の雪かきの心配もない。雪洞内はやはり底冷えがするが、その対策としては、@よく喋る。A何かしら動く。の2点である。
 寒いときに寝るときの服装だが、これは、意外だが、ヤッケやカッパなどの体温がシュラフに向かって放出されにくいものは全部脱ぐことである。最初は寒いが、体温が冬シュラにこもってくると、あったかくなるのである。あとは、足先をあっためてねること。乾いた靴下で寝ること。


雑感
農学部 獣医学科 家畜微生物学教室 6年  矢内英之
 四年ぶりの剣は相変わらず鋸の歯のような稜線であった。変わったことといえば自分が老人に近づいたことだけであります。メンバーは自分が三年のときに一年だった香川のみ。これも変わらず。もう一つ変わったのは香川との会話の内容です。当時仮面をかぶっていた彼奴が、今では朝起き抜けに下ネタを大声で連呼していたことかな。よく考えてみればテント内、雪洞内での会話の内容はほぼ下ネタだった。もっと高尚な会話をせねば。
 今回の山行は気象条件に恵まれ、スムーズに縦走を完成させることができた。ただ、白ハゲ〜赤ハゲのコルから大窓、小窓への下降など部分的にギクシャクした行動もあり、納得できない部分もあった。数少ない晴天日をぬっていくような山行であったならうまく完走できたかな?と思う今日この頃です。今度は北仙人尾根と中央壁に行こうや!

教育学部 教育学科 4年  香川浩士
 積雪期の北方稜線(赤谷尾根から)から剣岳に登頂することは、僕にとってまさに夢だった。その夢を実現して、今僕はこれを書いている。まず、さまざまな人に感謝したい。矢内さん、本当にありがとうございました。あなたに出会うことがなければ、僕はこの夢を持つことはなかったと思います。1年の夏山から、本当にいろんな山行に行きましたね。そのすべてが、僕にとって宝物です。あなたはいつも行動でものを言う人でした。僕はずっとあなたの背中を追っていた気がする。けど、結局追いつけないまま卒業してしまうなあ・・・。山だけでなく、1,2年のころはバイトの帰りなどによく家によらしてもらって、泊まらしてもらい、翌日矢内さん家から学校に通っていたもんですねえ。すべてがいい思い出ですわ・・・。
 湿っぽい文になっちまった。なんか、矢内さんが大阪に行ってしまうのはとても寂しいけど、またいっしょに山、登りましょうや。今度はEXPEDITIONでもやりまっかい!!カゴンマから胸のすくような登山の知らせを大阪に送ったるけんな!
 いうに及ばず、俺が世話になった人は矢内さんだけではなく、ほかの山岳部員のみんな、米沢先生、三穂野先生、OB,OGの皆様方、家族、故郷の友、山を通じて知り合えた全国の友達たち、これらの人々にお世話になりました。本当にありがとうございました。今まで出会って接してきたすべての人に感謝したいです。
 今回の山行は、「これが終わったら死んでもいい。」と思っていました。また、「この登山が終わらないと、俺の人生は前に進めない」、という風にも思っていました。それほどかけれるものを、人生の中で持ちえたことは、幸せだったなあと思います。
 また、このようなことになったのも、この鹿児島大学山岳部のあったかい、人間を大事にする気風の中で育ったからだと思います。上級生になって、山しか見えない時期がありました。人として大事な部分を忘れかけていた時期がありました。そんなとき、「それではだめだよ。」ということを心のそこから伝えてくれる人が、この山岳部にいました。そのときは呆然としましたが、今ではとても感謝しています。この部で学んだことは、山登りをとうしてだけではありませんでした。
 これからは、1人の部員として、1人1人との付き合いを大切にしていこうと思ってます。
 次に、夢の話です。小学校のとき、短い映画で、宇宙飛行士の映画を見たことがありました。その映画のエンディングで、「Dreams Come True」といっていたのをはっきり覚えています。つまり、「夢は本当にかなう」という意味だと思います。しかし、僕は今まで、こういうのはやはり一部の人だけできるもんなんだろうな、と漠然と考えていました。だけど今回、自分が、自分にとっての紛れもない夢を実現することができ、「夢って、やっぱり実現するもんなんや。思うだけやなくて、こうできればなあ、とおもたら、次に努力を重ねて実現に持っていくもんなんや。そうすることがあたりまえのことやったんやなあ・・・。」と思うにいたりました。これがなんか、今回とても嬉しいことやったです。
 これからの人生について。 ひとつの夢が果たせて、次のステージが見えてきました。今は、またそれに向かって努力していく時期やと思ってます。しかし、山登りとたまに馬鹿やること、も、ちょくちょくやっていくと思います。山はもはや俺の人生から離して考えることは出きんようになってしまいました!
 残りの学生生活について。
 いつも、「今しかできないことをして生きていきたい。」という思いを心のどこかに持ってすごしています。それと、ここ2,3年の間、心が奪われていた剣・北方稜線から開放されて、次に、もう惚れてしまった山域があります。そう、屋久島は永田川原流域です!あそこには、現在2回ほど足を踏み入れていますが、いやー、惚れてしまいました。とにかく、原始性がすごい。多分、あそこらへんは何千年前と変わってないんやろなと思います。そして、ドーンと立った岩壁帯。幾筋も入ったルンゼ群。まずはハ〜ホ谷あたりを明らかにしてみたいなあ・・・。あそこらへんに向かう心境としては、初遡行のタイトルを取りにいく、というより、純粋な子供心の冒険心、探検心、といったものです。だれかいかんかっ?んっ??心の奥のほうに焼きつく山行になるのを約束します。(たぶん)。
 最後に、鹿大山岳部の大先輩方へ。
 「2月の雨宮先生を偲ぶ会でヨカチンを踊ったばか者は、この私です。しかし、ただ馬鹿をするだけのやつではなく、登山のほうもやるときはやっておる、というような認識を持っていただければ、嬉しいです。」これからも、現役の僕たちを心のどこかで見守っていてくれるよう、お願いいたします。 
 2002年4月13日


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